伴野貴之のマイお気に入り記録


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2018.9.4
インタビュー

業界初の日本酒YouTuber!?石井酒造・石井誠氏が挑む新たな挑戦

埼玉県・幸手市に蔵を構える「石井酒造」。1840年(天保11年)創業という老舗ながら、現在日本酒業界に新たな風を吹き込むべく様々な活動をしているのが8代目・石井誠氏です。

日本酒業界初(!?)のYouTuberデビューや、クラウドファンディングを使ったアプローチなど、これまでの業界の常識を覆し続ける石井さんにお話を伺ってきました。

広い視野を持った経営者になりたい!一般企業を経てあとを継いだ8代目

▲石井酒造・8代目蔵元・杜氏の石井誠 氏

-石井酒造の8代目蔵元・杜氏として活躍する石井さんですが、昔から実家を継ぐことを決めていたんですか?

石井さん:中学の時から漠然と「あとを継ぐ」という未来は考えていましたね。ただ、日本酒の家業を継ぐ人の王道的なプロセスって、東京農大の醸造学科で学んで、実家で修行するという形なのですが、父(先代)と話をしていて「農大の醸造学科に行けばお酒造りを学べるけど、他業種との関わりが薄くなる。仲間が同じような業種の人だけになってしまうと、これからの社会で視野が狭くなって埋もれてしまうので違う世界を見てきた方がいい」というススメを受けました。

その時点では、あまり深く考えていなかったのですが、高校受験で大学の付属校を受けたら偶然受かってしまって(笑)そのまま大学も進学する流れになったんです。ですから、醸造学を大学で学んでいたわけではありません。

-日本酒の醸造についてはどこで学んだんですか?

石井:2010年に卒業したのち、独立行政法人「酒類総合研究所」という機関で醸造学の研修に通いました。研修が終わって、当時赤羽にあった「小山酒造」で醸造見習い(作り手)として修行をさせていただきました。でも、その後一般企業に就職して、2年間サラリーマンとして普通に働きましたんですよ!

-え?!わざわざ修行までしたのに一般企業に就職したんですか?(笑)

はい(笑)でも、一般企業に就職したのも進学と同じ理由ですね。将来的に後を継ぐ上で、広い視野を持った社会人になりたいと思ったので、まずは一般企業で働こうと考えました。

-なるほど、先代は日本酒業界の未来を見据えた上で石井さんに別のルートをススメたんですね。今はグローバル志向があたりまえですが、当時からそれを考えていたのは先見の明がありますね!

石井さん:確かに、今思えば“業界の先”を考えていたんだなと感じますね。父は、新しいもの好きなんですよ!今でもすぐiPhone Xとか新しいガジェット買いたがるし(笑)好奇心というか、当時から新しいものに対する嗅覚があったのかもしれませんね。

全盛期の1/◯まで落ち込んだ日本酒の生産量

▲1840年(天保11年)創業の老舗・石井酒造

-石井酒造は歴史のある老舗の蔵元さんですよね。

石井さん:1840年(天保11年)からある酒蔵なので、歴史はかなり古いですね。埼玉県の幸手という場所に蔵を構えているんですが、当時は宿場町として栄えていたので日本酒の需要が結構あったそうなんです。また、江戸川の川路を使って江戸にも日本酒を卸すなど、“地の利”を活かした形で上手くビジネスを展開していたようで、かなり儲かっていたらしいのですが……。

うちの蔵に限らず、業界全体に通じることなのですが、段々と出荷量・生産量が落ちていったんです。うちの蔵で言えば昭和50年を境目に右肩下がりで落ちていったらしく……現在の出荷数って一番多い時と比較して1/20ほどに落ち込んでいるんです。

-1/20ですか!?業界的に厳しい時期が続いたとは聞いたことがありましたが……まさかそこまでとは……。

石井さん:各蔵が様々な取り組みをして、どうにか乗り越えようと努力を重ねてましたね。うちの蔵で言えば、先代の頃2000年に当時あった古い蔵を取り壊して、その土地にスーパーマーケットを誘致しました。そのスーパーの裏の余った土地に小さい蔵を建て直して、営業をすることにしたんです。

-規模を縮小したということですか?

石井さん:そうですね。ただ、大きな蔵ではお金がかかってできなかった機械の導入も、規模を縮小することで可能になりました。裏を返せば、今まで以上にこだわった物を作る環境が整ったという側面もありましたね。規模縮小で生まれた最初の日本酒が、現在石井酒造の主力商品になっている「豊明」なんです。ですから、規模を縮小したことは決してネガティブなことではなくて、これからの業界で生きていく上で必要な戦略の1つだったのだと思いますね。

20代だけで醸す日本酒!?業界内外で話題になった「二才の醸し」

▲20代だけで製造販売までを行なった日本酒「二才の醸し」

-石井さんを語る上で外せないのが、2014年に立ち上げた「二才の醸し」プロジェクトですよね!“20代の若者だけで作るお酒”というコンセプトは、非常に話題となりましたが、どのような発想でこのプロジェクトを立ち上げたのですか?

石井さん:社長に就任して間もない2014年、私は26歳で“業界最年少の社長”だと言われていました。また、その当時一緒にお酒造りをしていた杜氏も、私の一歳年上なので27歳でした。年配の方も多い歴史ある業界で、自分たちの強みが何かと考えたんです。

「技術力」「経験」「土地のブランド」「原料の付加価値」どれも自分たちの特徴とは言いきれない中で「年齢」「若さ」という部分が、一番の特徴でした。「年齢」という、新しい付加価値を持った日本酒があると面白いかなと思ったんです。お酒そのものを売るというより、作り手のストーリーを売るという発想です。

また、若い世代に向けたPRという意味合いも大きかったですね。「同い年が作った〇〇」「先輩が作った〇〇」とかそういう、仲間意識的なものがあると、手に取ってみようと思ってくれるんじゃないかなと思ってプロジェクトメンバーを集めました。蔵元、杜氏はもちろんのことPR、デザイン、コンサルティングなど流通に関わる部分まで全てを20代のメンバーで揃えました。

-石井さんが30代を迎えるタイミングで、「二才の醸し」を他の蔵元に引き継いでもらったんですよね?日本酒のブランドを他に譲渡するのって……あまり聞きませんよね?

石井さん:極めて異例のことだと、よく言われました(笑)蔵が存続している中で、ブランドを譲るのは私も聞いたことがありませんでしたね(笑)ただ、2年間このプロジェクトを進めて、非常に手応えがあったんですね。

「二才の醸しをきっかけに日本酒を好きになった」「日本酒はあまり飲まないけど、二才の醸しは好き」といった声を数多くいただけるなど、業界内外で注目を集めるまでに成長した中で、このまま終わらせてしまうのはもったいないと感じたんです。また、このプロジェクトを通してより多くの若手が業界内で活躍してほしいという想いも込められています。

-現在は3代目の蔵に引き継がれていますが、各蔵が作る「二才の醸し」はまるで別物に仕上がっているようですね!

石井さん:全然違いますね(笑)引き継ぐ条件は「20代」というだけなので、名前が同じでも中身の日本酒もラベルデザインも別物です。トレンドに敏感な若者が造る「日本酒の今を反映したプロジェクト」になっていってくれれば嬉しいですね。

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