次々と酒のブームが変わっていくなか、あえて「変化しない」ことを選んだにも関わらず、圧倒的な知名度と人気を保ちながら生き残ってきた日本酒があります。
それが「剣菱」。
兵庫県伊丹の地に生まれ500年の時を超えてもなお製造当初の味を保ち続け、日本の歴史のカギになる場面で登場することもしばしば…。
今回は「剣菱」の魅力の秘密に迫っていきたいと思います。
「剣菱」とは
剣菱は、兵庫県を代表する日本酒。
酒のために作られた米として有名な「山田錦」が使われています。
昔から、味を変えないことにこだわり続けた剣菱は、総じて「米の旨み」の主張が強め。「これが伝統的な日本酒か!」と感じること間違いなしです。
剣菱は日本酒としての伝統が長く、スーパーや酒屋に行けば必ずあるといっても過言ではないくらい、全国に広まっています。
「剣菱」という名前を知らなくても、剣菱の”あのロゴ”を見たことある人は多いのではないのでしょうか?
剣菱の歴史
剣菱酒造は今から500年以上前の永正2年(1505年)以前に設立したといわれています。
しかしその情報も曖昧で、すべての資料が揃っているわけではないため、正確なルーツも明らかになっていません。
剣菱酒造は創業以来、500年に渡り酒を作り続けています。創業時は兵庫の伊丹から、現在は灘へと舞台を移してきました。
500年間、飢饉や明治維新、戦争や震災など様々な苦難が襲い掛かってきたにも関わらず、変わらない「剣菱らしさ」を維持し続けてきました。
例えば、第二次世界大戦中、米不足に陥った政府は日本酒の米の量を減らし、酸味料や糖類で味を調整する「三増酒」を作るよう指導をします。しかし当時の剣菱酒造の社長「白樫政一」は「これは日本酒ではない」と主張し製造を拒否。政府の命で製造はするものの、他社にその酒を譲ってしまいます。
「本当に良いものしか作りたくない」という製造者の心意気と覚悟が伝わりますよね。
剣菱が変わらない製造方法を採用する理由
500年、五家におよぶバトンを継承してきた剣菱酒造には「3つの家訓」の家訓があり、そのうちに「止まった時計でいろ」というものがあります。
流行を追おうとすると、必ず最先端の流行を一歩手前で追いかけていることになる。それでは、時計の針と自分が一致することは絶対にない。変わらない味、止まった時計でいれば、必ず時は巡り、ピッタリと時間が合うときがくる。必ず戻ってくる。
という理念です。
剣菱酒造には、変わらない味へのこだわりがあるのですね。
長い歴史の中で止まった時計でい続け、生き残ってきたからこそ、日本酒であると証明している存在に感じられます。
剣菱酒造は、「味を変えない」ために、ゴールから逆算した酒造りを徹底しています。
勘違いしてはならないのが、「昔ながらの手作りにこだわった酒」ではなく、「剣菱の味を変えないためには昔ながらの手作りを要する」という結論になること。
これは、今も昔も変わることがない剣菱の酒造りの原点と言われています。
剣菱にまつわるエピソード
昔々、土佐の山内容堂は「坂本龍馬の脱藩を許してほしい」と勝海舟から言われたとき、「これを飲んだら許してやる」と下戸であった海舟に飲ませたのが剣菱でした。
海舟は頑張って飲み切ったため、山内から許しを得ることが出来た、という伝説が残っています。